韓国南西部旅行〜在日友人たちと在韓友人を訪ねて

   飛行機からの眺めに歓声を上げる男性陣。「海だ!」「島だ!」とまるで子どものようにはしゃいでいる。 木曜日の出発便のせいかお客さんはがらがら。1時間10分の飛行時間はちょっとお茶を飲んだらあっという間だ。 これから4泊5日、日本から男女4人で韓国の友人を訪ねての旅が始まった。
   金海(キメ)空港には、私たちの友人釜山のチェボンさんと、 ソウルから私の韓国留学時代に知り合ったスジニが迎えに来てくれていた。チェボンさんと握手。何か言おうと思うのだけど、 なんだか胸がいっぱいで言葉が出ず、ただただ手を強く握る。スジニとは1ヶ月前の5月に日本で会っているのだが、 「今度は私が外国人ね」と挨拶。

6月12日(木)〜<巨済島(コジェド)へ>
   車は高速道路に入り、ドライブインへ。 今回の韓国での初めての食事はピビンネンミョン(コチジャンであえた汁なし冷麺)。 思ったより甘い。辛いのが食べられない人はククスといううどん。途中寄った別のドライブインに、恐竜のモニュメントがあった。 このあたりで化石が出たらしい。海の景色が美しい。ほとんどソウルの都会しか知らない私にとって、 韓国にもこんな場所があったんだと改めて認識。
   巨済島は思ったよりも広く都会。韓国で4番目に大きい島という。プルンノウル(青い波)ペンションへ。 テラスがあり、海を見下ろせる。建設中のペンションもあり観光地だとわかる。あちこちに花が咲いており、ウグイスの鳴き声。 夜には北斗七星が輝く。「ウジョンシッタン(友情食堂)」というところでお刺身、海鮮鍋で夕食。チェボンさんが、 商売道具の柚子を持参していて、焼酎にまぜてチューハイにして乾杯。ちなみに韓国にはチューハイがない。 私達の会話は主に日本語だが、スジニのために誰かが通訳している状態。酔っぱらったチェボンさんが、 スジニに向かって日本語でしゃべり出し笑われる。食事中、大阪に残っている夫趙益秀(チョ・イクス)へ電話。 国際電話というのに次々と電話が人の手をまわる。   ペンションは女性陣はベットが1台で、スジニと私がベットへ。 パクさんは床のオンドルで就寝。周りをレースのカーテンが囲み、見上げると、天上に蛍光性の星が輝いている。ちょっと冬ソナの世界。

<オンドルがサウナに?!>
   夜 ・・・暑い。6月は韓国もやはり蒸し暑いのか。それにしても暑い。 夜中にあまりの暑さにパジャマの上着を脱いだ。横に寝ているスジニをチラッと見やると気持ちよさそうに寝ている(ように見えた)。 明け方下に寝ていたパクさんが、なにやらモニターをじっと覗いている。「?」「オンドルが入ってた。30度になってる」 「え〜っ!夕べの暑さはそれだったんですか?」スジニが夜中に気がついて温度を下げたらしいが、 いったん上がった室温はそうそう下がらなかったようだ。床に寝ていたパクさんは蒸し風呂状態だったはず。 男性陣もオンドルが入っていたらしいが、窓を少し開けて寝たとかでずいぶん楽だったよう。 聞けば海辺は少し冷えるのでここの主人が気を利かしてオンドルをいれてくれたよう。 オンドルをうっすら入れて、窓を開ければ快適だった・・・ということを後から知る。以降韓国滞在中、ほとんど汗をかかなかった。 昼間でも暑さはあっても湿気が少なく、夜は長袖の上着がいるくらい涼しく快適だった。

13日(金)〜<外島(ウェド)行き遊覧船の名船長>

   船長がマイクを握り「この船のトイレは、皆さんが全員がウ○コをしても匂わない、 韓国でも最もレベルの高いトイレです。ただし、男性が長居していると、 下から覗いた魚が珍しい物がぶら下がっているぞと思って、咬みつく恐れもありますからご注意を〜」船長は海上の案内人も兼ねてた。

独特の慶尚道(キョンサンド)なまりで、まるで昔物語りを語るように味わい深い語り口。 「皆さ〜ん、私の話がわかりましたかぁ?」「イェーッ!(は〜い)」と盛大な拍手。 船客も船長さんと一体になって呼応している。このあたりが何とも韓国らしい。

海上はおだやかで小さな島々があちこちに浮かんでおり、日本と同じように夫婦岩や獅子岩などの名前が付いている。 はるか向こうに天候によっては対馬が見えるという。 私たちには認識できなかったが、毎日のように見ている船長にはうっすらとその輪郭が見えるという。 そんなに近いんだ。

トイレに行ったピョンさんが戻ってきた。するとなにやら痛そうに下腹を押さえている。 「下痢?!」さっき食べたホヤのピビンバがあたったか?ふと横を見ると、スジニがお腹を押さえて笑いを堪えている。あっ長居したから、お魚に咬みつかれたのね。

<冬ソナ最後のロケ地へ>

1時間近くをかけて外島へ到着。船は数カ所の港から集まってきており大勢の観光客。 手入れの行き届いた公園は美しい。南国の花々が咲き乱れる。 冬ソナのドラマの中でペ・ヨンジュン演じるチュンサンがデザインしたことになっていた家が見える。 彼が乗っていたカートもある。島から眺める海はどこまでも美しい。 海を望むテラスでお茶。それにしても放映時間の迫った状態で、釜山からでも相当な時間を要するこの島で冬ソナの最後のロケをしたのか。


<採れたてサンチュ>

   夜には釜山で野球観戦の予定があるため、午後3時頃早めの夕食。 冷麺とサムギョプサル(豚バラの焼き肉)。韓国の食堂では主に男性が給仕し、女性が料理する。 ここのオヤジさんもニコニコ給仕している。 麦わら帽子をかぶって出てきたので何をするのかと思ったら、 庭のサンチュを採ってきている。まさに産地直入の採れたて無農薬野菜。元気な青虫がいた。屋外で食べるご飯は美味しい。 考えてみれば、韓国では日常的に家でもよく庭で食事をする。それだけで美味しさが違う気がする。

   車中、ピョンさんがドライブインで手に入れた「コピー品のCD」を聴き続けた。 若い歌手でも心に染み渡るような声を響かせる。 少し枯れたような声が魂を揺さぶり、意味は完全に解らないにもかかわらずいい歌だと感じてしまう。 私たちはスジニに歌詞を説明してもらっては音楽に聴き入った。

<ロ〜ッテ、ロッテ、ロッテ、ロ〜ッテ!>

   小学生の頃一度プロ野球を見に行ったことはあるが、 野球が面白いと感じだしてからの観戦は初めて。 地元釜山のチーム、ロッテジャイアンツは、4月頃は2位を走っていた。 現在は6連敗して3位。スクリーンには「秋まで野球をしよう!」のスローガン。 大抵春は勝ち進むのだが秋までには失速してしまうらしい。

 ちょっと前までの日本の阪神タイガースに似ていて親近感。応援グッズはその場で手作り。タブロイド紙を手で3センチ間隔に切れ目を入れ房を作り、 それを片手に持って振り下ろす。地味だけど即席で作れしかも安くていい。 7回にはオレンジ色のロッテのロゴ入りゴミ袋が配られた。 後でゴミを入れて捨てるためのものだが、その前にクルッと空中回転させて中に空気をため込んで、端を耳に掛けふんわり帽子の出来上がり。 あちこちにオレンジ色の頭が揺らめいている。 しばらくするとスクリーンに観客が映し出され「さぁ、キスして!」のアナウンス。 あっ、自分たちだと気づいたカップルが熱いキス。 3組ほど続く。スクリーンには「19歳以下は見ないでください」と一応は書いてあるけど、チェボンさんの子どもたちもしっかり見てました。 「次はカモメのダンスをして!」というリクエストにも躊躇うことなく踊り出す人々。このノリ大阪人と同じ。 応援歌もあって「ハレルヤ」の讃美歌の替え歌で、「ガルシア」という外国人選手を応援していた。 ガルシアは自分の応援歌が出来た時、感激に胸を熱くしたらしい。 途中「釜山港に帰れ」とカモメのことを歌った釜山の歌を観客全員で歌う。 一塁側スタンドには舞台があって白い燕尾服を着た応援団長のお兄さんが飛び跳ねたり、応援歌の指揮をしたりして皆の応援を操っている。 チアガールのお姉さんも4人踊っている。キャラクター人形も2体出てきて「6連敗」と書かれた紙を破り捨て食べてしまった。 もう1体は「あきらめるな!」と書いた紙を振り回している。途中トイレに立ったら、足下がなんだか揺れてる。 地震?ではなくて観客の応援が振動となっていると知る。 試合の方は2対1でついに9回裏を迎えた。相手チームの「ウリ」の方が圧している。 もうダメかなと思ったその時ヒットが続き何とか同点に追いついた。試合が始まったのが夕方6時半。もう時計は10時を回っている。延長10回。 2塁にガルシアがいた。打った!ガルシアは3塁へ。あっ、ボールがあらぬ方向へ返された。 ガルシアがホームへ!サヨナラ勝ち〜っ!右横のスジニと、そして左横のチェボンさんと、ピョンピョンと飛び跳ねながら肩を抱き合う。

大声で歌を唄い、我を忘れて叫んだためか喉が枯れてしまった。 帰りには「ロ〜ッテ、ロッテ、ロッテ、ロ〜ッテ」(これも讃美歌の替え歌)の大合唱が球場周辺に響き渡っていた。 海の向こうの阪神タイガースに似たチームと観客。 ロッテはこの日以降、私たちの滞在中に3連勝したのでした。(もうすっかり私もファンに)


14日(土)〜<チェボン社長の会社>
   昨日の応援疲れもあって朝はゆっくり始動。 私たちはスジニとここでお別れし、彼女はKTX(韓国の新幹線)でソウルへと戻っていった。 入れ替わりにチェボンさんの妻ソンヒさんが同行。パクさんは肩こりがひどくなり、 近くのグランドホテル内にある垢すりとマッサージへ。残りのメンバーでAPECKの会議が開かれた会場へ。

 松林の続く海岸沿いが公園になっていて、土曜日のためか多くの人がジョギングや散歩を楽しんでいる。 ガードマンのおじさんが話しかけてきた。 独習したという日本語で「私のこの指先のはるか彼方に対馬が見えます」と丁寧な語り口。 日本の演歌が好きで、次々と歌手の名前を挙げて見せた。

   車椅子の観光客を2人見かける。 頚椎損傷でオットボック社(ドイツ製)の高級車椅子を使っているが、 メンテナンスが不十分と見えてタイヤがかなりすり減っている。 でも家族以外の支援者と見られる人が介助しており、少しずつ障害者の外出が増えているのを感じる。

高速道路の休憩所でも障害者や子どもの癌対策への募金がなされていたし、 自動販売機にも料金の一部が寄付される仕組みになっていた。 車椅子マークもあちこちで見かけたのだが、なかなかいいなと思ったのは、 車椅子が日本のデザインと違い、静止図ではなく、手をタイヤの後方へ回し車椅子が斜めになった躍動的であること。 こんなところにも生き生きとした韓国人気質を感じる。
   すぐ近くにあるチェボン氏の貿易会社に行く。 始めたばかりで夫婦のみの営業だけど、自分が社長だから時間の融通が利くため、 今回の私たちの旅にもゆっくり同行してもらえた。 日本の大分に柚子を輸出するのが主な仕事。韓国のアイス柚子茶をいただく。
   垢すりを済ませたパクさんが戻ってきた。 「皮2枚はがれた感じ〜」とすっきりとし、よみがえった表情。垢すりのおばさんは普通下着姿なのだが、 パンツ1枚で奮闘してくれたらしく、目の前で胸がユラユラ揺れていたらしい。 身体を裏返しにしたり、股をガバッと開かれたりしながら、「韓国って実質主義」と感じ入ったとか。 マッサージ付きで50000ウォン(約5000円)とお安い。次回は私も・・・と思った。

<楽安(ナガン)民俗村から麗水(ヨス)へ>
   釜山で「うわさの参鶏湯(サムゲタン)の店」という名前のサムゲタン専門店へ。 サムゲタンもさることながら、私は付け合わせの「トンチッ」が美味しくておかわり。 これは直訳すると「ウ○コの家」つまり腸なのだけど、コリコリした歯ごたえがたまらず、 内蔵って一番美味しいと私はライオンの心境。韓国料理は美味しいとは思ってきたが、まだ未知の味があったのか。 ここでも食事の後、無料でコーヒーが飲める。 大抵の食堂にはコーヒーの自動製造機が置いてあって、無料か100ウォン(10円)程度で飲める。 ガムや飴をくれるところも多い。匂い消しなのかもしれない。

   その後ドラマ、チャングムの撮影も行われたという楽安民俗村へ。 ここでは海外でも使用できる私の携帯電話がエリア外になってしまった。今も実際に人が住んでいるという藁葺き屋根の家々。

   

あちこちで民泊もしている。 民族衣装を着て、わら草履を作っているおじさんが懐から携帯電話を取り出していたのは可笑しかったけど、時代は現代なのだから当たり前か。
   夕方6時に楽安民俗村を出たため、 麗水市内を抜けるともう8時をまわっていた。突山島(トルサンド)に入る。 この辺はカッキムチとよばれる高菜のキムチの産地。よその地方ではないらしい。だんだん陽が落ちてくる。 民家が少なくなり、食堂を見かけては視界から消えていく。 お腹が空いてきた。ちょっと不安。手元にあるのはわずかなパンと牛乳だけ。 暗闇の中でようやくみつけた今夜の宿はwater parkerというペンション。海は大荒れ。 宿では先客がありなんと冷たい風が吹きすさぶ中、わざわざ外でお食事中。 その後宿の人に教えてもらった食堂の灯りを見た時には全員安堵。夜9時近いのにお刺身や豆ご飯などがあれこれと出てくる。チェボンさんは今日も柚子を持参していて焼酎の柚子割りを作っている。 「ヒョンニム(お兄さん・我が夫趙益秀)へ電話しよう!」と携帯で今日も日本へ国際電話。 酔っぱらいが次々と電話を代わり日本にいる夫も声が弾んでいる。元気であればきっと同席していたに違いない。 私はちょっとお酒が入るともう眠くなって食事もままならない。 ピョンさんはまだ飲み足らないのかお酒を数本宿へお持ち帰り。 TVでは岩手県で地震発生のニュース。私はもうくたびれてシャワーの後早々に寝床へ。 風が吹き荒れる中、お酒飲みの皆さんは、先ほどの宿のお客さんと一緒にその後も外で宴会中でした。

15日(日)〜<山登り>

   夜早く寝た私は翌朝は6時過ぎに起きて散歩。 しばらくすると北ノ間さんも起きてきて一緒に港でいわしの水揚げを見る。 10時の遅めの朝食は昨日のお刺身とわずかなパンとコーヒー。物足らないと思っていたら目の前にドーナッツの袋。 宿泊中の青年の物だったが「貰って良いですか?」と食べてしまった。 その後、向日庵(ヒャンイラム)へ向かうシャトルバス乗り場へ。 シャトルバス内では私たちは立っていたのだが、北ノ間さんにはどこかの韓国人が席を譲ってくれた。 こういう時韓国では遠慮してはいけない。年上に席を譲るのは日本よりはるかに当然と老人も若者も心得ている。

向日庵へはなんと300段の階段を上らなければならない。途中両側から岩が迫ってくるような狭い径をくぐりぬけ、頂上にあるお寺にたどり着く。名前の通り海が見渡せて日の出を見るのに最高の眺め。12時半にお昼ごはん。家庭式白飯(カジョンシッ・ペッパン)と呼ばれる定食や、 テンジャンチゲ(味噌チゲ)、山の食堂に多いトトリムッ(ドングリを粉にして寒天状に固めたもの)を食べる。


疲れた後のトントンチュ(濁り酒)は美味しい。私はお酒に弱いのにこういう時は我慢できずについ一口飲んでしまう。湯飲みに半分くらいでもう顔が火照っているのが分かる。 山を下りながらピョンさんは乾燥エビを8000ウォンで買っていた。そのまま食べても美味しい。湯飲みに半分くらいでもう顔が火照っているのが分かる。 山を下りながらピョンさんは乾燥エビを8000ウォンで買っていた。そのまま食べても美味しい。



   午後からは果実の並木道を通り抜けながら三神山サンゲ寺(サンジンサン・サンゲサ)というお寺へ。 ここも観光地のようで駐車場は車でいっぱい。山と川に挟まれた道筋には土産物屋が並ぶ。 栗の花が咲いている。韓国のお寺は昔迫害された歴史があり多くは山の中にある。 門の左右に木造の置物があるのだが、極彩色の上どこかユーモラスな表情。 日本の彫刻などは上品ですました表情が多いが、韓国のものはお面にしてもおどけたり笑って緩んだ顔つきのものがほとんど。観音さんのような人物が鬼と思われる者の下敷きになっているのだが、 鬼はユニークな顔だが怖くないし、観音さんはケロッとして微笑んでいる。 なんかふざけて遊んでる感じ。迫力なさ過ぎ。お寺から下山途中、 おやつにカムジャチヂミ(ジャガイモのチヂミ)とトントンチュをいただく。この旅行中は昼も夜もお酒が出てくる。
   車窓から見えるハングルの看板を、男性陣が一生懸命読み上げている。 車のスピードに読む力が追いつかなくて、単語の頭しか読めない。

パクさんが全部読めない時は、文字の後半から読むと意味がつかみやすいとアドバイス。 韓国語の初歩レベルの北ノ間さんとピョンさん、二人とも熱心に言葉を口にして覚えようとしている。 車は夜9時頃ようやく釜山の海雲台(ヘウンデ)に到着。

<最後の晩餐>
   おやつのチヂミがあったおかげで、お腹もなんとか持ちこたえている。 一度地下鉄に乗ってみたいという北ノ間さんのリクエストで、1区間乗車。 広い構内はとてもきれい。見ると公衆電話にコレクトコールが出来ると表示されている。 お金を持っていない子供などが緊急時使えるようになっているとか。チェボンさんの家の近所で、 時々家族で訪れるというサンギョプサル(豚バラの焼き肉)のお店へ。 広い店内はキッズルームもあって囲まれた中におもちゃも並べてあった。 店員のおじさんも若いお姉さんもてきぱきと動いて愛想が良い。 肌の美しい若い店員さんに「おいくつですか?」と尋ねてみる。 「16歳です。大学に行きたいのでアルバイトしています。 お金は全部お母さんに渡します」今の日本では失われてしまったような苦学生。 ほぼ毎日働いているそうで頭が下がる。「あなたは現代のチャングムだ!」とピョンさんが言ってたけど、 おそらくTVなど見る暇もない彼女は意味が分かっただろうか。食事中日本からピョンさんへ国際電話。 夫の趙益秀にもみんなで電話をかけまくる。ほぼ毎日のように夫の声を聞き、携帯のメールを送った。 食事の後近くのチェボンさんのアパートへ。玄関を入ってすぐ目に入ったのは、趙益秀の写真。 以前ソンヒさんと子どもたちが日本に来た時に撮った写真。夫に伝えると「涙が出そうや」と喜んでいる。 子どもたちはよく躾けられていて、きちんと並んで私たちに挨拶して見送ってくれた。 その足で私たちはEマートへ。夜12時まで開いているので、明日のお土産買いの為の下見をする。 パクさんは北ノ間氏のためにジャンバーとポロシャツを購入。日本と違ってあちこちに警備員がいるのが目に入る。 ゆっくり散歩しながらモーテルへ戻る。今夜が韓国で過ごす最後の夜。

<もっと居たい思いで・・・>
   朝食後換金のため銀行へ。チェボンさんに頼めばよかったのに、 日本人の私はパスポートのチェックから始まり時間がかかった。 ふと見るとピョンさんが居ない。「ピョ〜ン!」と北ノ間さんが叫ぶと、 なんとトイレの中から「北ノ間さん、紙!」とせっぱ詰まった声。 韓国の公衆トイレはトイレットペーパーが置いていないか、 あっても入り口に大型ロールを巻いたものが一台あって、それを適当に巻き取って各自トイレへ入っていくようになっていることが多い。 ピョンさん、すんでのところで助かった。
   その後お土産を買うためEマートへ。ピョンさんが韓国海苔の陳列棚の一部を買い占めた。 韓国海苔、コチジャン、サムジャン(金山寺味噌みたいなもの)、お菓子、石鹸などを購入。小さな市場にも行き、乾燥わかめ、 お餅、豆なども買う。お餅は日持ちさえしたらもっと買いたいほど種類が豊富。 ピョンさんが夫のためにお餅を買ってくれる。昼食はお酒飲みのピョンさんが「ボクの酒代分」と称しておごってくれる。 豆乳がスープになっている冷麺を食べる。私が以前ソウルで食べたものに比べ豆乳が豆腐に近い感じ。 相当繁盛しているようでお客さんが次から次へと訪れ、店員さんもめまぐるしく動き回っている。
   昼食後チェボンさんの車で空港へ向かう。 道路際に紳士用のズボンを並べて売っている人がいた。この排気ガスの中でも気にすることなく、どこでも商売の場にしてしまう。 ピョンさんが「韓国は人間が主役という感じがする」とつぶやく。 本当にそうだ。日本では常識と感じていることも、実は自分で自分を規制してしんどくさせているだけなのかもしれないと思う。 空港で韓国式に抱き合ってお別れ。ハプニングさえ面白いと感じてしまう人達との旅は、面白さを超えていた。

<帰路>
   帰りの飛行機の中ではパクさんが市場で買ってくれたキムパッ(韓国式海苔巻き)を食べる。 JALの客室乗務員さんも「美味しそうですね」と覗き込んでいた。 関空まであっという間。バスで帰るパクさん北ノ間さん夫妻と別れピョンさんと私はラピードに乗る。 車中でも興奮冷めやらずピョンさんと思い出を反芻。何から夫に話そうか、野球かな・・・とあれこれ考えを巡らす。

<今回の旅の収穫>
   釜山以外はすべて初めて訪れた地で、韓国の自然と歴史、 料理を満喫した旅だった。特に食事はどれも美味しくて、トンチッやホヤのピビンパッなど新しく知った味もあった。 今まで韓国旅行をしてもソウルで過ごすことの多かった私は、 こんなに美しい場所が沢山あったことをほとんど知らないで過ごしていた。旅の間ずっと笑っていたように思う。 些細な事も笑いに変えてしまう人達と数日間共に過ごせで、本当に楽しかった。
   また旅行前には何度も釜山のチェボンさんからメールや電話があって、 打ち合わせをしてきた。私たちのあそこに行きたい、あれが食べたいという要望を上手にまとめ、 野球のチケットの手配や宿の予約など、仕事の合間を縫って旅のコーディネートをしてくれた。 旅の間はチェボンさんとソンヒさんがハンドルを握ってくれ、移動も楽々だった。心から感謝している。

   チェボンさんが招待したかった日本でお世話になった人達のなかで、 「今回その中の一人は来ていません」と言われた夫趙益秀。本人も何を置いても行きたかったであろうに、 旅行に耐えられるほどの体力がなく、残念ながら参加できなかった。 代わりに私を快く送り出してくれた。ありがとう。おかげで今までになかった面白い旅ができました。 また行ってもいいかしら?


旅の期間 2008年6月12日(木)〜16日(月)
島村 教子 記


ご予約・お問合せは
海鴎 トラベルまで
E−mailでおねがいします

関西国際空港発着の中国・韓国行き格安航空券を販売しています。
海鴎トラベル株式会社      ご連絡お待ちしております。
TEL(06-6233-2888)     FAX(06-6233-2988)

大阪府知事登録第3-2157号
〒541-0047   大阪市中央区淡路町3-4-13  東和ビル3階
営業時間   平日9:30〜18:30(土日祝日休み)