《第14回 東大阪国際交流フェスティバル》
 三ノ瀬公園に「地球市民」が集う
―ホダダットさん家族、笑顔でみんなにお礼―
日韓問題を考える東大阪市民の会 西山 健一郎


 少し肌寒さを感じるものの、空は晴れわたった第14回東大阪国際交流フェスティバル。今回は、法務省に難民認定を求めて、やっとのことで在留特別許可を受けたアフガニスタン人のホダダットさんが、11年ぶりに家族といっしょに暮らせるようになった喜びと感謝を、ステージから市民のみなさんにアピールしました。
 これまで、あごの骨の病に冒された次女のラティファさんへの支援を行ってきましたが、ご両親や四人の兄弟たちと一緒に舞台に立った彼女の笑顔には、一家で暮らせる幸せがあふれています。マスコミも、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、毎日TVで取り上げられ、ホダダットさん家族の支援が国際フェスティバル(地域のネットワーク)の取り組みの中で進められていることが、広く伝えられました。フェスティバル終了後の2月にも、ホダダットさん家族がアフガニスタン料理を市民に紹介する「楽しいアジア・世界の料理教室」が取り組まれ、そのなかでみんなで作ったアフガニスタンの家庭料理「コフタ(ミートボール)」や「サブズィ(ほうれん草とニラのスパイス炒め)」などの美味しさが、ホダダットさん一家と東大阪市民の結びつきをより深めたと実感できました。

 また、フェスティバル当日にMBSラジオが参加者へのインタビューを行いました。そのなかで、ベトナム人難民の方は「日本人とのコミュニケーションは難しいけれど、フェスティバルを通してどのように暮らすかを情報交換していると、だんだんわかりあってきます」と。そして、韓国から来られたお母さんは「子どもは(民族の)言葉や歌の勉強をしているが、日本で生まれているので本当に伝わっているのか気がかり。フェスティバルでは、いろいろな人と交わりいろんなことを学べる。ちょっとでも伝われば…」と。また、ローストチキンのお店を出したシエラレオネ出身のアフリカの男性は「このフェスティバルは大好き とってもやさしくて楽しい」などなど。フェスティバルが果たしてきた役割が、決して小さくはないことが電波にのりました。MBSのアナウンサーも「(参加者の)表情や声が良い。元気でみんなが自分の国のことを自慢しあっている」と述べ、スタジオからは「(東大阪市民が)『地球市民』としての役割を果たしている。市民が(フェスティバルを)やることで、どれほど外国人が癒されているか。あたたかく市民が支えていることはすばらしい」とのコメントが発せられました。このように報道もフェスティバルを大いに盛り上げましたが、やはり4か月をかけて準備し、出店が40団体、舞台演技が27グループ、そして秧歌(ヤンガー)行進など、すべての参加団体の力が成果の源であることは言うまでもありません。
 特に今回のフェスティバルで私の印象に残ったのは、三つの舞台です。
 一つ目は今回が初めての胡紅侶(KORORO)中国舞踏学院による中国舞踏「天女と花」です。鮮やかな緑と紅がまぶしい衣装と、バレーのような動きに魅せられた方も多かったと思います。
 そして二つ目に印象深かったのは、成美高校中国文化春暁倶楽部による「獅子舞・龍踊り」でした。獅子と龍との演舞にカンフーの要素も入り、元気な声が聞こえてくるようで、若者の溌溂とした気が溢れ出ていました。

 そして更に盛り上がったのが、最後のトリとして企画された「アリランメドレー・オケチュム」です。多くの参加者がいっしょに歌い、踊り、一体感溢れるフィナーレを迎えました。三ノ瀬公園全体が歌の中で、踊りの中で感じあえたのかなぁと思うと同時に、もっともっと本当に全員が加わればとの夢が広がります。

 このほかフェスティバルとも並行して、大阪朝鮮高校の運動場明け渡し裁判の解決。そして同校ラグビー部の全国大会での活躍が、大きなテーマとしてありました。まず、朝高運動場問題はフェスティバル終了後に裁判所での和解が成立し、民族教育を守ろうという地域からの取り組みが司法の良識ある判断を引き出したのです。さらにこの運動場から花園ラグビー場での全国大会出場をめざす朝高ラグビー部は、12月の大阪大会決勝で昨年の全国覇者である常翔啓光学園を破り、大阪第3地区代表として花園の芝を踏みしめました。その後、新潟工業、国学院久我山高校、流経大柏高校といった優勝候補も含む強敵を破り、民族学校のスポーツで初のベスト4進出を果たしました。おしくも準決勝では神奈川の桐蔭学園高校に破れましたが、守備力を前面に押し出した戦いで「不屈のFW(フォワード)! 素早いサポート!」に東大阪市民だけでなく、全国に朝高ありの強烈な印象を与えました。
 そのチームの先頭に立つ主将の呉泰誠(オ・テソン)のことを、あるスポーツライター(いつも熱いコメントを発することで有名)は、次のように表現しました。「(オ・テソンは)話し言葉がそのまま文章になる。語尾にまで神経が行き届いている」と。いわく『(国学院久我山高校を破った後)1年の時、史上最弱と呼ばれた我々の代が、史上最強に生まれ変わる瞬間を経験できました。相手は国学院久我山、しかも第1グランドという万全の舞台で歴史をつくれました』『準々決勝、できれば準決勝と大阪朝高の歴史を刻むようなラグビーを展開したいです』『静かなラグビーをしてしまった』『逆境こそ楽しむんだと』『たったの18年間しか生きていませんが、すべてをぶつけた3年間でした』……

 このような若者たちといっしょにある幸せを感じながら、14回を迎えた国際交流フェスティバルの報告とします。