朝日新聞 2014年1月24日
【[考]民主主義はいま】韓国軍事政権下で弾圧被害

保安法と秘密法 独り歩きの余地
 政府が恣意的に法を運用し、言論を統制する。在日韓国人の康宗憲・早稲田大客員教授(62)は、そんな社会を身をもって知る一人だ。1970年代、留学した韓国で民主化運動に関わり、国家保安法に違反したとして死刑判決を受け、13年間を獄中で過ごした。特定秘密保護法が成立した、今の日本をどう見るか。康さんに語ってもらった。

■国家保安法の第1条は「反国家活動を規制することによって、国家の安全ならびに国民の生存および自由を確保する」とうたう――
 「反国家活動」の定義があいまいで、法は民主化運動にも適用されました。朴正煕政権下の1974年には、独裁に反対する運動が「政府転覆を狙う反国家活動」だとして21人が逮捕、8人が死刑を執行されました。
「自由を確保する」という法律の目的と、結果は全く違っていたんです。
 日本の秘密法も「国および国民の安全の確保」を目的に掲げていますが、秘密を知ろうとしたジャーナリストや市民が処罰される可能性があります。政府にとって不都合な事実を隠し、政権批判の根拠を与えないことが可能になります。
■朴正煕大統領は、共産主義者を罰する反共法や戒厳令で権限を強めていった――
 今の日本が、秘密法だけで当時の韓国のような暗黒時代になるわけではありません。集団的自衛権の行使容認と改憲の動きを合わせて考える必要がある。
 他国の戦争に加わるとき国民に十分な根拠は示されるのでしょうか。自民党の改憲草案には「国民は公益に反してはならない」とある。改憲されると、これが反戦活動の弾圧の根拠となるおそれもあります。
■康さんはソウル大の民主化団体でデモの計画に関わるなどした。75年11月、「学園浸透スパイ団事件」の容疑者として逮捕された――
 情報機関員を名乗る男が下宿に来て、「別の学生について聞きたいことがある。すぐ終わる」と言う。主にスパイを取り締まる軍の保安司令部に連れて行かれると、「いつ北朝鮮のスパイになったのか書け」と身に覚えのないことを迫られました。
 体中が腫れ上がるほど殴られ、蹴られました。鼻をふさがれ、やかんの水を口に注がれたこともあります。指にコイルを巻かれて電流を流されてもがくと、縛られていた手首と足首の皮膚が裂けました。
 拷問が50日間にも及び、恐怖と苦痛から逃れることしか考えられなくなった。虚偽の自白をさせられ、「学生らと地下組織を結成する任務を帯びていた」との調書が作られました。

あおった他国の脅威
■逮捕の2ヵ月後、事件の主犯として起訴、77年3月、死刑が確定した。民主化宣言を掲げた盧泰愚氏が大統領に当選した1年後の88年12月、釈放された――

 あのころの韓国と今の日本は、他国の脅威をあおることで政権が目指す政策を進めようとしている点に共通点があると思います。
 韓国の独裁政権はスパイ事件をでっち上げ、北朝鮮への恐怖感を高めて支持を集めようとしてきました。安倍晋三政権も中国や北朝鮮の動きを根拠に、集団的自衛権の行使容認や改憲の必要性を訴えています。
 国民の恐怖感が強まれば、秘密法のように権利を制約する法律も通りやすい。反対勢力を「売国奴」とたたくこともできる。危うさを感じます。
■秘密法の年内施行に向け、秘密指定の基準などを話し合う情報保全諮問会議が17日、議論を始めた――
 法案成立後に誰も声を上げなくなれば、政府は「批判は一時的なものだった」と考える。国民が監視し続け、おかしな点を指摘していくべきでしょう。仲間と声を上げることが変える力につながっていきます。韓国の民主化もそこから始まったんです。

日韓で学び合いを――取材記者の視点
 韓国では独裁時代の名残が消えていない。2012年末の大統領選では、政府の情報機関が野党候補を組織的にネット上で中傷したことが明るみに出た。昨年9月には革新系の野党議員が体制の転覆を企てたとして、内乱陰謀などの罪で逮捕、起訴されている。
 拡大解釈の余地を残lした法律は独り歩きする。韓国の民主化への歩みは、それを教えてくれる。いま、対立が目立つ日韓両国だが、民主主義という市民にとって共通の課題は積極的に学び合いたい。(佐藤達弥)

■学園浸透スパイ団事件■
 国家保安法による代表的な言論弾圧事件の一つ。1970〜80年代に民主化や南北統一運動に関わった学生らが北朝鮮のスパイだとして多数逮捕された。留学などで韓国にいた在日韓国人の逮捕者は計約120人にのぼる。うち少なくとも9人の死刑が確定したが、民主化で減刑、釈放が進んだ。

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1948年11月 国家保安法制定
1972年10月 軍事政権の朴正煕大統領が政党・政治活動を禁じる戒厳令。その後、大統領権限を強める新憲法を公布
1979年10月 朴大統領が側近に射殺される
1980年 5月 光州事件。民主化を求める市民を軍が武力制圧し、200人以上が死亡
1987年12月 盧泰愚氏が大統領に当選

カン・ジョンホン 1951年、奈良県生まれ。在日韓国人2世。ソウル大医学部在学中の1975年、国家保安法違反容疑で逮捕され、2年後に死刑判決が確定した。1988年に釈放された後、55歳の時に大阪大大学院博士課程(国際公共政策学)を修了。昨年1月、ソウル高裁での再審で無罪判決を受けた。京都市在住。
逮捕4ヵ月前の康宗憲さん。後ろに軍人らしいゲートル姿の男性も写っている
=1975年7月、ソウル大、康さん提供