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《2024年 市民報告集会》
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《2023年『第26回東大阪国際交流フェスティバル』》
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《2022年『第25回東大阪国際交流フェスティバル』》 | |
◆第25回 フェスティバルDVD: 「待ちに待ったフェスティバルが帰って来た~!」 |
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◆第25回 東大阪国際交流フェスティバル「まとめ」 | ⇒ココから |
◆第25回 フェスティバル写真:集会場設営編 | ⇒ココから |
◆第25回 フェスティバル写真:出店編 | ⇒ココから |
◆第25回 フェスティバル写真:舞台編 | ⇒ココから |
《2021年 東大阪国際フェスタ企画イベント》 |
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We are one |
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第24回 東大阪国際交流フェスティバル(動画)!! |
参加者みんなで「ウエルカム・ニューフレンド」 東大阪といえば「ラグビーのまち」ですが、パンに例えるなら「カレーパン」です! 今回、小阪駅近くにある「ヴィドフランス小阪店」のご協力で、フィリピンと日本のカレーのカレーパンを130個製造していただきました。店長さんによると「その国ならではのパンチがあって、おもしろい」と。さらにガンガジさんからも「インドキーマカレーパン」50食を製造していただき、彩を加えていただきました。やはり即、完売となりました。 ほかにもベトナムのサンドイッチ、バインミーやフォーや、定番になっている各国のご自慢の食べ物を、じっくりと味わうことができました。 今年も盛況! 「こどもたちの広場」!! 舞台出演の緊張感! 達成感! 安堵感!! 舞台では、美しい民族衣装に身を包んだ出演者らが熱演され、観衆が一瞬も飽きることなく、惹きつけられる演目が続きました。タイの歌と踊りを披露したタラートさんは、「今年は客席のノリがよく、とても楽しく踊ることができた」と。またタイ現地のテレビ局も来場しており、インタビューも受けておられました。 私は毎年、舞台進行の手伝いをしていますが、出演される方々の緊張感と、出演後の達成感と安堵感に満ちた表情が大好きで、本当にさまざまな国の独自性や、小学生からご高齢の方まで年齢を問わず、いきいきと演奏、舞踊を披露されている姿から活力をいただいています。観衆の皆さんと出演者が一体となったときには心の奥で、「よっしゃ」と叫んでいるのです。 今回も圧巻の「パレード行進」 来年また必ずお会いしましょう。最後に“新しい友人”が東大阪で生きいきと暮らしていけるよう、私たちも共に力をあわせていきたいものです。私たちは、これからもずっと“ともだち”です。 (事務局・衣川)
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《2019年 市民学習集会③》
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《2019年 市民学習集会②》
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《2019年 市民学習集会》
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《ドキュメンタリー映画》
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《合田牧師・没10年》
私たちの合田悟牧師が永眠された日から、早いもので10年が経過いたしました。
合田牧師は、東大阪国際交流フェスティバル、NPO東大阪国際共生ネットワーク、東大阪市外国籍住民施策懇話会をはじめ、日韓・日朝の親善交流、うり・そだん、さらんばんへの支援や、外国人の人権擁護活動のみならず、プライバシーの保護、公害問題としての石けん使用運動、ごみを考える会など、広範な“平和と人権”“民主主義”の確保への40年の歩みを続けてこられました。 いうまでもなく、そうした合田牧師の草の根の取り組みは、日本の歩んできた歴史と、東大阪地域の成り立ちを視野に入れた貴重な取り組みであり、今も地域のそれぞれの生活の場でひき継がれ、私たち一人ひとりの胸の中に温かく刻み込まれているものです。 “没10年”を迎えるにあたって、心温かい仲間の皆さまとともに、ひと時、合田牧師との出会いや、それぞれの歩みをふり返りながら、受け継いできた“想い”を今後も大切にしていくための、ささやかな集いとなれば幸いです。 ご多忙の折とは存じますが、温かい仲間の皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
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東大阪国際交流フェスティバル20周年記念DVDが完成!! 『私のまちはアジアのまち 私のまちは世界のまち』 東大阪国際交流フェスティバル20年の歩み 1996~2015 三ノ瀬公園 保存版DVD:30分……紹介版DVD(8分)をココから観れます!! 入手を希望される方は、 kokusaiks@e-sora.net までご連絡ください。 【お問い合わせ】 NPO法人東大阪国際共生ネットワーク・事務局 TEL・FAX 06-6721-6670 E-mail:kokusaiks@e-sora.net |
《2015年 学習集会》
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《救援募金の取組み》
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《2014年 学習集会》
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《2013年 第12回総会》
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《「ロス暴動」20周年記念上映会》 在米コリアンが製作した渾身のドキュメンタリー映画
1991年3月、米国・ロサンゼルスでスピード違反を犯した黒人青年に対し白人警官らが激しい殴打を加えた映像が全米で放映された。翌92年4月、警官らに対する裁判で陪審員は無罪評決を下した。その直後に黒人の怒りが爆発し、史上最大の黒人暴動に発展した。ロス市警は白人地域での防御態勢を固めたが、コリアタウンを無防備のまま放置した。その結果、暴動はコリアタウンに襲いかかり甚大な被害をもたらした。
当時、「黒人がコリアタウンを襲撃した」という報道に強い違和感を覚えたノンフィクション作家の高賛侑さんは現地に取材に行き、白人による黒人差別に起因しているにもかかわらず、「韓黒葛藤」に原因があるかのようにすり替えられていることを明らかにした(著書『アメリカ・コリアタウン』参照)。2011年、19年振りに現地を訪れた高さんは、地元の韓国人が製作したドキュメンタリー映画「クラッシュ・オブ・カラーズ」に遭遇し、日本での上映活動を開始した。 この映画は、当時の生々しい映像と、被害にあった韓国人や白人・黒人の政治家、学者、ジャーナリストなどの証言によって構成されている。ロス暴動の真相に肉迫しながら、同時に人種、差別、多文化共生といった今日的テーマをも考えさせる要素に満ちている。 東大阪上映会案内チラシ→ココ
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2009年に改定・公布された「出入国管理及び難民認定法(入管法)」「出入国管理に関する特例法(入管特例法)」「住民基本台帳法(住基法)」の本格的な施行が、7月9日に控えています。そして、これまでの外国人登録証に変わり、特別永住者には「特別永住者証明書」が、その他の在留資格を持つ外国籍者には「在留カード」が交付されることになります。
この法案の審議(2009年)に当たっては、“個人情報の一元管理”は違憲(2008年3月/住基ネット最高裁判決)という観点から、外国人情報が国家によって一元管理されることへの問題点や、「特別永住者証明書」「在留カード」の常時携帯・提示義務への刑事罰、学校・職場・家族構成の変更届(2週間以内)への在留資格取消や刑事罰、16歳(高校生)の誕生日に入管局(14日以内に市町村窓口)―以降の常時携帯・提示義務等々の問題点が指摘され、附帯決議が付けられて成立したのです。それ以降、どうなっているのでしょうか。今回の外国人(在留)管理制度が「“外国人の人権の確保”“住民サービスの充実”とはかけ離れた「排除・監視・管理」の強化ではないか」との指摘があっただけに、気になるところです。 同法の附則や国会での附帯決議で、運用に当たっては「在留管理全般について広範な検討を行う」「個人情報の保護について万全の配慮」「必要最小限のものとなるよう、その運用には慎重を期する」「弾力的な運用を行う」「今後も引き続き検討する」等とされた附帯内容について、それらの“宿題”がどう示されているのかを点検することは、外国籍住民施策にあたる自治体、教育現場、地域で共生社会に取り組むNPO市民にとっても、きわめて大切であることは言うまでもありません。 今回の地域学習会を通して、現在の改定「入管法・入管特例法」への理解を深め、地域でどのように取り組みを進めるべきかを共に考える場になれば幸いです。多くの皆さんの、ご参加をお待ちしております。 地域学習会案内チラシ→ココ
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合田 悟 牧師
東大阪・草の根40年の歩み (合田悟さん追悼集 編集委員会 編集・発行) |
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「平和」にこだわった故・合田牧師40年の歩みがこの一冊に!
平和と人権、そして民主主義への歩みを止めなかった合田悟牧師の草の根40年をまとめた『追悼集』が、現在進めている「合田牧師の活動資料データベース化」に先んじて、一つの冊子にまとまりました。この『追悼集』には、合田牧師の韓国良心囚救援活動、在日一世の識字活動支援、プライバシー保護や公害問題等々、その折々に遺された文章が刻み込まれるとともに「“諦めるな”という思いが強い握手から伝わって」(退去命令が出た大学生・周鵬宇)など、寄せられた追悼の言葉からも合田牧師の温かい人柄が伝わってきます。 日本の歩んできた歴史、東大阪地域の成り立ちを視野においた責重な取り組みは、さらに広い人々に、世代を超えて受け継がれなければなりません。そして受け継いだものをしっかりと守り抜いていければと考える次第です。 (合田悟さん追悼集 編集委員会代表 田村幸二)
●巻頭文―合田悟 ●第一章:合田悟牧師を偲んで ●第二章:日本の歴史的責任と共生社会の課題―合田悟 ●第三章:密航者の世話人 ●第四章:出会いと連携 ●第五章:旅の終わりに ●第六章:合田悟牧師の年表 ●遺族から ●編集後記(編集委員会 西山健一郎) |
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さまざまな人の歴史と思いをつないだ、一人の牧師の生き方。東大阪を愛し「人としての信念」を貫き、闘い続けた40年間に迫る。 ●『共生への思い』発刊によせて●
■「いいよ」と二つ返事で■ (千葉愛子 東大阪石けんの会) 女4人だけのこじんまりとした所帯のわリには考えることは大きくて――。
話が進むにつれて『石けんの会』では合田先生にお願いしよう、ということになったのだと思う。当時「石けんの会」のような『追放』を全面に出さないあいまいな運動の会長を引き受けるということに関しては懸念する声もあったかもしれない。合田先生は、今でも思い浮かべることができるあの人なつっこい笑顔で「いいよ」と二つ返事で引き受けてくださったと記憶している。 ■「うり・そだん」と合田先生■
合田先生が大声で日本大使館の日本大使に叫んだ。「私は日本から来た合田という。牧師をしている。日本からハルモ二たちといっしょに来た。日本人としての責任を果たすためにここに来た。君にも責任があるだろう。出てきなさい。出てきてハルモニの話や私の話を聞きなさい。この門を開いて私を中に入れて話を聞きなさい」。何度も何度も叫んだ。大使館前の韓国警察に阻まれながら、両腕を捕まれながら合田先生は叫び続けた。(元日本軍慰安婦に謝罪と補償を求める行動にて――亡くなる1年前[2007年秋])鄭貴美 「さらんばん」代表 ■「合田牧師の思想」■
二つだけ合田さんが言われた印象に残る言葉がある。空野佳弘 弁護士 一つは、「この地球は誰のものでもない」という言葉である。私は法律家であるから、国家の壁があり、法制度としての不法入国や退去強制自体を否定することはできなかったが、合田さんは別の所に立っておられたように思う。 もう一つの言葉は、「キリスト教が偉いのではなく、キリストが偉い」である。これは、人間としての積極的な営為が社会を変えうるという合田さんの哲学だったのであろうと思う。 ■現場エキュメニズムの先駆者・合田悟牧師■
合田先生との出会いは、1971年夏の頃であった。私がソウルでの学びを終えて、7月に大阪・生野区に設立されたKCC(在日韓国基督教会)の幹事に赴任した直後のことであった。すでに関西において、キリスト教会の在日韓国・朝鮮人の差別問題への取り組みは始まっており、「在日外国人の人権を守る会」(1969年10月発足)への誘いがあった。そこでの出会いが最初であった。李清一 在日韓国基督教会(KCC)館長 ■合田先生を偲んで■
私は合田先生のことを思うとき、韓国のある方のことを思い出します。その方は韓国の民主化運動、統一運動の師と慕われた文益煥(ムン・イクヮン)牧師という方でした。合田先生も文益換牧師もどちらも社会正義の実現のために邁進された、牧師らしくない牧師さんでしたが、私は実はお二人とも罪人と谷間に置かれた民衆のために命をささげたイエス・キリストを実践しようとされ、一番近い生き方をされた方だったのではないかと思います。李哲 在日韓国良心囚同友会 |
● 問い合わせ ● NPO法人 東大阪国際共生ネットワーク 合田悟さん追悼集編集委員会 事務局 TEL・FAX:06-6721-6670 E-mail:kokusaiks@e-sora.net |
■A5版/350ページ カンパ:2,000円 |