《第15回 東大阪国際交流フェスティバル》
記念事業を盛大に華々しく開催
〜植樹・大キッパル・合同サムルノリ・朝鮮初級学校など〜
東大阪国際交流フェスティバル実行委員会 西山 健一郎


 チョアヨー! ワンダフル! 謝謝!……すべてで、これまでの華やかさ、美しさ、楽しさ、賑やかさを上回る記念すべき15回目の国際交流フェスティバルが、2010年11月3日に開催されました。15年間の長きにわたって市民と外国籍の住民が手作りでくり広げてきた「わたしのまちはアジアのまち」「わたしのまちは世界のまち」をテーマとした共生のまちづくりのすばらしさが、参加した8000人の心に響いていったのです。

 今回のフェスティバルは、これまでの集大成として記念の成果を具体的なモノとして残したい、そして参加者ともその喜びを分かち合いたい、さらに舞台の発表も持てる力を結集したものにしたい。このような大きな目標を持ってスタートしました。いわゆる記念事業です。こういうと形式的なものになりそうですが、決してそうではありません。
 会場である三ノ瀬公園は、古くから韓国・朝鮮の人々と日本人の交流の場所でした。「三ノ瀬公園の一角に、フェスティバルの歴史を刻んだ記念の銘板を残そう。これは大きな意味がある。そして同時に、いろんな国の樹木を記念に植樹をしよう。大きくなった樹木は将来、生きたフェスティバルの証人として見守ってくれるはずだ」。そのような提案が始まりでした。
 結局、「植樹」については公園が手狭なことや、韓国の国の花木であるムクゲがすでに多く植わっていることなどから、東大阪市の花木である梅に変更されましたが、「銘板」とともに当日のお昼、野田市長・共同代表・特別顧問らの手で、しっかり設置されたのです。記念の成果である銘板には『東大阪国際交流フェスティバルは今年、15回目を迎えました。三ノ瀬公園周辺にはこの100年、多くの朝鮮半島や中国にルーツを持つ人々が暮らしてきました。そして、今や東大阪市は60数ヵ国、1万8千人もの人々が住む国際都市になっています。共生のまちづくりへこころをこめ、記念の植樹とします』と、しっかり刻まれました。これからも、ずっとフェスティバルを見守ってくれることでしょう。

 記念植樹と同時に参加者とも喜びを分かち合うため、『子どもたちに世界の花の種を贈る』取組みも行いました。目玉はサン・テグジュペリ作の『星の王子さま』に出てくる、バオバブの木の種です。王子さまの星に生育するバオバブの木は、星を突き通し星が破壊するほど大きくなる巨木です。アフリカやオーストラリアが原産のこの木は、日本でも育つものの寒さからヒトの背を超えるぐらいしか育たないそうです。でも、子どもたちにとっては興味の的となりました。舞台上で野田市長が子どもたちに配布すると、「この花はなに?」「この花がほしい」などと大賑わいの盛上がりでした。
 そして舞台では、記念ステージとして3つのとび切りの演技が繰広げられました。まず、朝鮮初級学校の子どもたちは「弓の舞」という狩人達の舞と、60人以上による「故郷の春」などの合唱です。軽やかなリズムと狩人の衣装に包まれ、ちょっと勇壮でかわいい演技が印象的でした。

 二つ目は、5つの団体がケンガリ・チン・チャンゴ・プクを使って音を合わせるサムルノリです。サムルノリとは農楽のひとつで、収穫時などのお祝いの楽舞ですが、それを5つの団体が特に今回のために集まって演奏してくれたのです。それぞれが忙しい中、合同の練習を積み重ね、その成果が舞台上で披露されました。この5月からスタートしたオリニバンのみなさん、東大阪で結成依頼6年になる響(ヒャン)のみなさん、そのほか花園高校のマッパラム、朝鮮青年同盟東大阪学生会、韓国青年会東大阪地協の各メンバーによる合同演奏です。経験の差はあるかも知れませんが、文化への熱い思いがひと塊となって楽器から吐き出されるようです。目での合図に合わせながらのリズムの心地よさが、頭の芯にキン・キキーン・キーンと響きました。

 三つ目は、白頭学院建国中高学校伝統芸術部による大キッパル(大旗)・夢舞(ムーブ)です。韓国の世界大会で在日初めての大統領賞を受賞したとのことですが、私はこれまで見たことはありません。サムルノリやポンサンタルチュム(仮面劇)、旗の舞など伝統芸能を取り入れた演技とのことでしたが、最初は静かだった聴衆の声は演技が進むにつれて、次第に大きな歓声に変わっていきます。数メートルもあろうかという大きな旗が、逆円錐を描くように幾何学的に振り回され、リズムが重なっていきます。「チョアヨ、チョアヨ!」。私の左後ろで見ておられるハルモニの声が聞こえます。ふと振り返るとハルモニの頬には涙が伝わり、いたわりのような誇らしいような表情です。民族の心って、こんなことかしらとも思ったのでした。

 このようないくつもの記念イベントが、それぞれの目的を果たすことができたのは、多くのスタッフの献身があったこと。また予算面での、東大阪市の担当のご尽力等があげられますが、何よりも市民のみなさんが温かくこの取組みを支えていただいたことが、最大の要因でしょう。舞台でも活躍した西アフリカ・シエラレオネ出身のメッド・ロマシィさんの、「今回はお店を少し小さくして、フェスティバルそのものを楽しみたいんだ。フェスティバルはあったかいから」という言葉が、すべてを物語っているように思います。
 さて、次に向けて、もう一歩が始まりました。これからも知恵と力と心をお寄せください。よろしくお願いします。