|
『さまざまな人の歴史と思いをつないだ、一人の牧師の生き方。東大阪を愛し「人としての信念」を貫き、闘い続けた40年間に迫る! 私は平和にこだわり続ける 合田悟牧師追悼集“共生への思い”』・『今だから話した! 今だから書いた! 今だから知ることができるオモニたちの歴史“さらんばんのオモニたち”』・『「学校へ行って、どうや」と子どもにきかれた。「そら、ええわ。じょうずによまれへんし、かかれへんけど、なんかええわ」と、私はこたえました。“夜間中学校生徒募集”』・『「17歳の私を返してください」と、金学順ハルモニが日本軍慰安婦被害者として、初めてカミングアウトされて……戦争と女性の人権博物館オープンにむけた“李政美×寿チャリティコンサート”』・『「この文化祭に参加して、私は在日コリアンなのだと改めて自覚しました」“ウリ高校奨学生文化祭”』・『布施ラインシネマがおススメする韓国映画はこれ!“アジョシ”』・『祭祀(チェサ)のための料理や、儀式の準備はたいへんです。忙しく働いてお腹がすいた時に、手軽に作って食べられているのが、このお餅です。済州道の民族料理をぜひ“長栄夜間中学校・大平寺夜間中学校 朝鮮のキルムトック(油もち)¥100(2枚)』……。
これは16回目を迎えたフェスティバル当日のプログラムに挟み込まれたチラシの一部です。目に飛び込んでくる言葉は生きいきとして、これまでの長い年月を経て作ってきたフェスティバルがめざす「地域とともにあり、地域を包み込む優しさ」が、輝きながら表現されているようです。 〜♪♪「ハアアーアイョー 今年しゃ豊年だよ 穂に穂が咲いてよヨー ハアアー 道の小草にも ヤレサナ 米がなるヨ」♪♪〜 今年の舞台で最もよかったのは、東日本大震災で福島から東大阪に移ってこられた子どもたちのご家族を招待し、“秀雛会”による故郷の民謡相馬盆唄を演奏することができたことでしょう。招待したご家族が遠慮されたり、逆に周りから好奇の目で見られたりしないかなどの心配もあったのですが、みんなが知っている民謡が流れ、子どもたちがフェスティバルを楽しんいるのを見ると、そんな不安は吹き飛び、一気に東大阪と福島がつながったように感じたのです。当日、市民からいただいた支援のカンパは後日、事務局から避難家族にお渡しすることができ、手厚いお礼の言葉もいただきましたが、この企画を立てていただいた事務局の下村さんに満点感謝の思いです。 実は、今回のフェスティバルは、事務局として本当に実現までの道のりは大変でした。これまで事務局長であった田村さんが急きょ、長期の入院という緊急事態となり、残ったものがそれぞれに役割を分担して、十分なノウハウも無いなかで突っ走らざるを得なかったのです。『写真記録集』や、当日の「プログラム」の作成、予算、市への補助申請、自治会回り、広報、出店、舞台などなど、目まぐるしいほどに処理していかなければならないことばかりです。さらに、この作業と並行して、フェスティバル当日の発刊を目標とした、故合田悟共同代表の『追悼集』作成も進めていました。パソコンのソフトが難しい、作業が遅れているなど問題山積にもかかわらず、最後は関係者や参加者の皆さんのご協力で、本当に素晴らしい内容を地域にお届けすることができました。 それぞれのステージ・プログラムや出店も熱意と熱気に包まれ、もしかして、これまで以上に大成功に終わったのではと思っています。いくつかのミスや準備不足もありましたが、関係者のみなさんの寛容な心で無事16回目のフェスティバルを開催できたことに、お礼を申し上げます。でも、もうすぐ第17回目の準備が始まります。今回が乗り越えられたことで、また次回も♪♪(松山千春調で)〜苦しいだとか いう前に 力の限りやってやれ〜ぇ♪♪です。 |