《第19回 東大阪国際交流フェスティバル》
あのころの未来に
僕らは立っているのかな♪
東大阪国際交流フェスティバル実行委員会 西山 健一郎
 

 すでに19回。そして19年の年月が過ぎ、私たちのフェスティバルは、どのように成長してきたのでしょう。1996年11月3日、第1回のフェスティバルは手のひらのガラス細工のようにデリケートな、でも熱気だけは目いっぱいでスタートしました。
 その頃のスタッフの気持ちが
『写真記録集』では、次の様に語られています。「……チリ・イースター島の踊りに、どよめく喚声と口笛。南北にわかれた祖国の、それぞれにつながる団体。パフォーマンスを互いに讃えあう声。そして舞台に広がるオッケチュムの輪。ほころぶ顔、顔、顔」「皆が見えない気持ちの手でつながっている」「和気あいあいとした本物の国際交流に出会えてありがとう」(『第2回写真記録集』から)。
 当時の熱い気持ちが伝わってきます。そして
20年を迎えようとする今日、この熱さが地域とつながり、普段着の国際交流として深く広がってきているのでしょうか。この答えは19回の舞台に出演した人々の声の中に、しっかりと刻まれていました。
 まず、
子どもたちの声です。「今日は楽しかったでぇ(布施オリニバン)」「みんなが頑張れたと思う。練習してきた分、みんな出せた(東大阪朝鮮初級学校)」「緊張したけど、自分の力は出せたと思う(柏田小母国語学級)」「今日は緊張したけど、みんなが喜んでくれてうれしかった(キャラメルキッズ関西)」。
 これまでの
舞台を見ると、子どもたちや青年の演技が、すごく多くなっています。これは未来への希望につながっています。彼らは、必死に舞台で表現しました。20年間にわたって幼いながらに、子どもから子どもへ民族の文化が伝わってきたのです。これは大きな成果だと思います。
 更に、
青年たちの声を聞いてみましょう。「毎週2回練習を行って、フェスティバルには毎年参加しています。歓声も大きく楽しくやれた(在日朝鮮青年同盟東大阪学生会)」「毎日放課後、獅子舞や龍踊りを練習している。いろんな国の人に見てもらい、みんなで仲良くできるのがうれしい(府立成美高校中国文化春暁倶楽部)」。
 
青年たちの声からは、自信のようなものが感じられます。練習に練習を重ねた舞台のパフォーマンスが、観客からの大声援によって、青年たち自身の民族文化に対する誇りまでもが高められている。私にはそのように聞こえてくるのです。
 つぎに
ハルモニたちも含む大人の方々の声を聞いてみましょう。「小さい時から貧しくて学校に行けず、夜中で文字を読めるようになった。今日は本当に楽しかった(長栄夜間中学、太平寺夜間中学)」「沖縄の伝統文化を学んでいる。何時も平和を念じている。東大阪の皆さんに、沖縄の文化を見ていただきたい(琉球舞踊ひめゆり会)」「こんなにたくさんの国々のお客さんの顔を見て演奏ができて、楽しかった。(リュウリュウフルス吹奏楽団)」「東大阪には、中国帰国者がたくさん住んでいます。今日は、日中の架け橋になるために踊りました。中国3000年の歴史ある踊りヤンガーを、中国と日本の永久的な交流を深めるために見てほしい(東大阪日中友好交流会)」「毎年、このフェスティバルをやってくれて、本当にありがとう。今年は特別にエボラのことで、たくさんカンパしてもらってすごくうれしい。みんなの温かい気持ちで、15000kmも離れたシエラレオネと、東大阪の距離が大きく縮まったと思う(メッド・アンド・フレンド)」。
 “文字を学んだ、その先にフェスティバルの舞台があった”“日中の架け橋のために踊った”“沖縄の平和、伝統文化を見てほしい”“グローバルな、お客さんと出会えた”“エラレオネと東大阪の距離が縮まった”など、いま世の中で起っている具体的な困難を、それぞれの参加者が克服しようとして、舞台の中で表現し、呼びかけていることがよく分かります。
 隣人として外国人の具体的な困難を知ることにより、
ともに生きていくことの認識が深まっています。そして、歌や踊り・食べ物をみんなで楽しむことにより、民族・国籍・言語・生活習慣・偏見の障壁も低くなってきていると、私は感じます。
 一方、この
20年になろうとする取組みは、行政の多文化共生政策を推し進める原動力になってきました。しかし、その多文化共生政策の内実とは、どのようなものか。いまだ十分に構想されているとは言えません
 韓国・朝鮮の人びとにとって、アジアの人びとにとって、アフリカの人びとにとって、日本人にとって、
東大阪における多文化共生の街とは、どのようなものでしょうか。1996年第1回の開催時に夢見た未来……あのころの未来に、僕らは立っているのかな。未来の多文化共生の街のイメージを、具体的な言葉で表し実現させていく大きな夢が目の前に横たわっています。20回の節目を前に、これからも普段着の国際交流として大きな夢をかなえていきましょう。(西山)