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長年の在日韓国良心囚救援運動の中で、多くに人から「オモニ」と慕われた趙万朝オモニ(享年82歳)が、2005年10月3日ソウル市内の病院で亡くなられた。そして「趙万朝オモニを偲ぶ会」が、1月29日に大阪市内で開催された。 偲ぶ会の会場正面には、献花された花に囲まれてやさしく微笑む趙万朝オモニの遺影が飾られ、参加した50人を超える仲間たちをやさしく見守っているようだった。 趙万朝オモニは、1975年の「11・22事件」のねつ造で不当拘束され、死刑判決を受けた李哲氏、そして婚約者であった娘の閔香淑さんまでも懲役3年3ヵ月の刑を受けるという衝撃的な事件をきっかけに良心囚救援活動を始められた。韓国軍事政権下、在日韓国良心囚の存在すら知られていない状況の中で、獄中の李哲氏・閔香淑さんを励まし、在日韓国良心囚の存在と、彼らの熱い祖国への思いを訴えてこられた。 私たちも、この「11・22事件」で不当拘束された東大阪の李東石氏、そして「10・13事件(1984年)」で不当拘束された東大阪の尹正憲氏の救援運動の中で、韓国で在日韓国良心囚全員の釈放を訴え、活動されてきた趙万朝オモニの存在は大きなものでした。趙万朝オモニを通じて伝わってくる軍事政権下での良心囚救援運動、様々な情報に勇気付けられ、獄中の本人支援のための渡韓活動や、日本での救援運動に気合を入れて取り組むことができたのです。 1985年には、良心囚家族と共に「韓国民主化実践家族運動協議会(民家協)」が創設され、趙万朝オモニが共同議長として活躍される頃には、民家協の署名を日本でも取り組むなど、日韓共同の良心囚救援運動が太い絆で結ばれる状況が創られました。 1988年に尹正憲氏、そして李哲氏が釈放され、90年代に在日韓国良心囚全員の釈放が実現しましたが、これらは長年の趙万朝オモニの活動が大きかったことは言うまでもありません。その後も度々、日本での在日韓国良心囚同友会の取り組みに参加されるなど、元気な姿を私たちの前に見せてくれておりました。 偲ぶ会には、趙万朝オモニと共に歩んだ道のりがビデオやスライドで紹介され、「11・22救援会」代表の桑原牧師、李哲氏救援会、孫裕炯氏救援会、李憲治氏救援会、白玉光氏救援会、そして李東石氏・尹正憲氏救援会から、渡韓の度に趙万朝オモニに世話になり、どれほど心強い存在であったか。韓国での様々な行動の中での、やさしさの中に闘志をみなぎらせた趙万朝オモニの姿。趙万朝オモニの人間性に触れることで勇気をもらい、世界観が変わったエピソードなどが次々に語られ、コリアNGOセンター、韓統連の仲間からは、「オモニは一つの時代を切り開かれた方であり、そうした人たちがいて今の韓国があることを、在日の若い人たちにしっかりと伝えていく」とのメッセージがあった。 また孫裕炯氏夫人の夫辛花さんからは、心温まる趙万朝オモニとの思い出話。そして「韓国民主化実践家族運動協議会」からのメッセージ紹介の後、「追悼辞」が在日韓国良心囚同友会の柳英数氏から朗読された。【資料参照】 最後に、李哲氏と閔香淑さんからの挨拶があった。 閔香淑さんは、「私が13年間頑張れたのは、オモニのおかげです」と、趙万朝オモニと共に救援運動に走り回った日々の思い出を。そして李哲氏からは、オモニが亡くなられる前日、趙万朝オモニから「私は李哲を通じてこんなに多くの人と知り合え、神様にも会えた。ほんとうに感謝している。閔香淑をよろしく」と言い、手を強く握ってくださったことが話された。そして「趙万朝オモニと交わした様々な場面を大事にし、いつまでも皆さんの心の中に趙万朝オモニが生き続けていられるようにしてくださったらうれしいです」と、感謝の言葉を締めくくられた。 偲ぶ会の後、参加者は、柳英数氏・金英姫さん夫妻の営む韓国料理店「セント」に移動し、30年に及ぶ救援運動の話など、時間を忘れて語り合った。 【趙萬朝オモニ追悼辞】 愛するオモニへ 在日韓国良心囚同友会 柳英数 オモニ 今ここがどこだか分かりますか。 昔々 オモニが乙女のころ住んでおられた 日本の大阪です。 オモニ 今ここにたくさんの人たちが集まりました。 オモニがあれほど会いたかった なつかしい顔も見えるでしょう。 オモニは今頃天国で 口惜しい思いで涙する人々のために 祈っておられるのでしょう。 オモニのロザリオを手にした白いベール姿が ここに集まった私たちの胸によみがえります。 オモニがこの世を去るとき 何を望んでおられたか、私たちはよく知っています。 それは互いに助け合い、大切にし、愛し合うこと。そして口惜しい思いをしないで、幸せに過ごすこと。オモニ、そうでしょう。 オモニが天国に行かれるとき、何を持っていきたかったのか 私たちにはよく分かります。 それは百年が過ぎてもまだ無くなっていない、私たちの不幸せでしょう。 そして何十年が経ったのに消えていない、痛み、涙、苦痛でしょう。 オモニ、そうでしょう。 オモニ もうそんなことは皆忘れて、私たちに任せてください。 そして私たちが立派に生きていく姿を見守ってください。 そして私たちが少しだけ失敗しても オモニの温かい心で包んでください。 オモニ どうか、どうか 安らかに休んでください。 2006年1月29日 【韓国民主化実践家族運動協議会メッセージ】 良心囚の永遠のオモニ、安らかにお眠りください オモニが神様のもとに逝かれてから四ヵ月が経ちました。オモニの生涯の願いであった国家保安法も良心囚もいない世の中、自主統一された国を見ることなく逝かれたことが、あまりにも残念で悲しいです。 オモニは苦難を受けたすべての良心囚たちの二人といない救援者でした。特に民族統一の念願を抱いて故国の地を踏み、受難を受けた多くの在日同胞良心囚たちの永遠のオモニでした。オモニはすべての善良な人々、特に苦難を受けた良心囚たちには慈愛溢れるオモニでしたが、義人を抑圧する独裁権力には火のように起ち向かう方でした。 良心囚がいる所、関係のある所なら警察署、安企部、矯導所、法院、法務部、国会、青瓦台など、どこにでも行かれました。また多くの祈祷会、抗議集会に参加して、在日同胞や日本関連の良心囚に対する「スパイ」ねつ造を暴露糾弾したり、日本から来られる救援会の方々のために通訳をし、良心囚たちの実態を知らせました。 オモニが成し遂げられた良心囚の釈放運動と、反独裁民主化運動は末永く輝くことでしょう。 1975年、高麗大学に留学中だった李哲さんが中央情報部によって「スパイ」としてねつ造され、「国家保安法」違反で娘の閔香淑さんと共に拘束されると、オモニは二人の無罪釈放運動のために、先頭に立たれました。そして閔さんが釈放されると、閔さんと共に在日同胞良心囚の釈放にすべてを捧げられました。そしてついに1988年に李哲さんは釈放され、明洞大聖堂で金寿煥枢機卿の主礼による結婚式を挙げる喜びと、感動を受けられました。 オモニは1985年に結成された民主化実践家族運動協議会の共同議長として、また1989年、民家協良心囚後援会が発足すると副会長として、非転向長期囚の釈放と後援事業に献身されました。 本日、在日韓国良心囚同友会と救援会の方々がオモニを偲び、追悼されることに際し、私たちはもう一度、オモニの慈愛に溢れた輝かしい生涯を思い起こしながら、良心囚後援会全員の心をこめて追悼のお言葉を申し上げる次第です。 2006年1月29日 韓国民主化実践家族運動協議会・良心囚後援会 過ぎし日、故国において、あれほど苦しい道を強いられたにもかかわらず、勇気を失わず、いつも民主主義と人権実現の道に立っておられる在日韓国良心囚同友会の皆さん。そして良心囚釈放のために一貫して闘いの道を共にしてこられた救援会会員の皆さん。お元気でしょうか。いつも皆様を家族のように思っている私たち民家協は、皆様に熱い連帯のごあいさつを送ります。 本日、大阪で在日同胞良心囚とすべての良心囚のオモニであり、いつも私たちと共にしてこられた「趙萬朝オモニを追悼する集い」を開催されると聞き、参席こそかないませんが、趙萬朝オモニを懐かしむこちらの民家協のオモニたちの心をこめて深い追悼の気持ちを送ります。 新しい年を迎えて皆様方がさらに健康で、事業において一層高い成就がありますよう祈ります。民家協もまだ解決されていない人権問題の解決のために、ここで一生懸命闘い続けます。 2006年1月29日 韓国民主化実践家族運動協議会 |